
「秋田に残るべきだという空気感に囲われて苦しかった」
来年の春、就職で秋田を離れることになった大学生、Aさんの言葉です。
Aさんは県外出身で、大学進学のため秋田県に移り住みました。ここで4年を過ごし、卒業後は県外で教員になります。
かけがえのない出会いがあり、はじめのうちは秋田で就職したいと考えていました。「でも、やめることにしました」
Aさんに、選択の理由を聞きました。
「どうして秋田に残ってくれないの」
インタビューの数日前、Aさんからメモが届きました。そこには、Aさんが秋田を離れようと決めたいくつかの理由がつづられていました。その言葉をたどりながら、インタビューを進めていきました。
2年ほど前、Aさんが就職に関する県内のイベントに参加したときのことです。
イベントには大学生や秋田市の方、秋田の企業の方がいました。秋田市の方が「皆さん就職はどこに行くの?」と聞いた際、ある参加者が「東京に行きたい」と話しました。秋田市の方は「えー、どうして秋田に残ってくれないの?」と少し否定するように言っていました。(Aさんのメモより)
〈恋も仕事も秋田でね〉。30年ほど前、私がAさんと同世代だったころに、県内でよく見かけた行政発のキャッチコピーです。
秋田市のハローワーク秋田の入口には〈恋も仕事も秋田でね〉と刻まれた石碑が、今も残っています。このキャッチコピーがいつごろ生まれたものなのか、ハローワーク秋田に尋ねたところ、1985年(昭和60年)とのことでした。今につながる「人口減少」の始まりの時期です。

それから40年たった2025年現在、秋田に残ってほしいという政策は、より直接的なものへと変化しています。
学校現場では、秋田県の人口減少に絡めながら「適齢期の妊娠・出産」を子どもたちに意識づけする「ライフプランニング教育」が行われています。自治体が結婚のマッチング(仲人)をしたり、デートの費用を助成したりする「官製婚活」も盛んです。
このような人口政策は秋田県に限ったものではなく、国が推進し、各自治体で行われています。ただ、三重県伊賀市の市長のように「官製婚活を行わない」と宣言する首長もおり、自治体によって人口減少への向き合い方や政策には、違いがあります。
「この空気感はおかしい」
Aさんの言葉です。
「イベントでは、市役所の方から『みんなどこに就職するの?』と聞かれて、参加した学生たちが『東京で起業したいと考えているんです』とか『東京の方で修行してレベルアップしたいんです』と話したら『なんで秋田に残らないの?』と結構、本気な感じで言われてしまって。その時は、それほど深く考えられなかったんですけど、一緒にいた友人が『この空気感って、すごくおかしいんだよ』と言ってくれて」
私は、祖父から「生まれた土地で育ち、働き、死んでいくんだ」と言われていたため、そのように言われることは普通だとも感じていました。しかし、友人の話を聞いて、若者が出て行くというわりに、若者にとっての「快」が秋田にあったのか、結婚することや秋田に残ることを強いる雰囲気はむしろ「不快」ではないかと思い始めました。(Aさんのメモより)
ふるさと教育に戸惑う
Aさんは当初、秋田県内で教員を目指したいと考えていました。しかし、秋田県の「学校教育の指針」 を読み進めるうち、迷いが生じました。
秋田県の学校教育の指針には、次のような言葉があります。
〈ふるさとに生きる意欲の喚起〉
秋田県は1993年から「ふるさと教育」を学校教育の基本としています。ふるさと教育の狙いは「ふるさとのよさの発見」「ふるさとへの愛着心の醸成」、そして「ふるさとに生きる意欲の喚起」です。

ふるさとの良さを発見して、愛着をもってもらうのは、いいことではあると思いますが「ふるさとに生きる意欲を喚起する」というところに、納得がいきませんでした。(Aさんのメモより)
Aさんはこの4年、秋田県内で人権啓発に関する社会活動に携わってきました。その中で、秋田に居心地の悪さを感じて離れていった人たちにも出会いました。
今年参加した東京のイベントで、秋田出身の方に偶然会ったのですが「秋田でこんなことしなくていい。帰りたくもない」と話していました。そういう人たちにとって、この「ふるさと教育」による秋田にいなさいという「包囲」は、つらいものだったかもしれないと想像しています。
秋田県の教員採用試験を受験した友人も「秋田の教育指針には、とりあえず秋田に残って欲しいという思いが強く、そこだけは共感できない」と話していました。(Aさんのメモより)
すべての学校や先生が「ふるさと教育」の目標を固く守っているわけでないと、Aさんはわかっています。それでも「ふるさと教育は、自分には無理だ」と戸惑いました。
「私は、自由な選択を子どもたちにしてほしい。秋田は『秋田にいさせたい』という空気が強いなと感じていたけれど、それが、教育にまで影響しているんだと思いました」
「そんなんじゃ嫁にいけない」
アルバイト先では、心に傷として残るような言葉を向けられたこともありました。
「新人でバイトに入ったとき、全然やり方を教えてもらえなくて、何も分からないまま『とりあえずマニュアルを読んだらわかるから』と言われました。それで私の仕事が遅かったり、雑だったりすると『そんなんじゃ嫁に行けない』『結婚できない』みたいに言われて、それは仕事に全然関係ないじゃんって。こういうことを日常的に言われて、社員さんに相談したけれど、変化がなくて」。性的なハラスメントにも遭いました。
Aさんは、秋田の自然を美しいと感じてきました。夏はいろいろな祭りに出かけました。かけがえのない出会いがあり、楽しい思い出も数えきれないほどあります。


一方で「秋田には何もない」という若者の声を「そんなことはない」「秋田には良いところがたくさんある」と打ち消してしまう言葉に、もやもやとしたものも感じてきました。
かみ合わない、という思いが、心の中に積もっていきました。
包括的性教育を知っていたなら
Aさんは教員になったら、包括的性教育に力を入れたいと思っています。
包括的性教育(Comprehensive Sexuality Education)
ジェンダー平等や性の多様性を含む人権尊重を基盤とした性教育
学習指導要領に「はどめ規定」があるように、教員は性教育に積極的に触れられないのが現状かもしれません。私の考えですが、外部講師を呼ぶ性教育講演会が特効薬なら、日常から行う性教育は漢方のようにじんわり効いていくと考えており、どちらも重要な要素であると思います。(Aさんのメモより)
はどめ規定
文部科学省が定める「学習指導要領」の中には、学校で教える内容について「〇〇を取り扱わないものとする」という言い回しがあります。いわゆる「はどめ規定」と呼ばれるもので、例えば小学校5年生の理科には「受精に至る過程は取り扱わないものとする」、中学校保健体育の保健分野には「受精・妊娠を取り扱うものとし、妊娠の経過は取り扱わないものとする」と記されています。この記述が、多くの学校現場では「性交(生命の始まりにかかわる行為)は教えてはならない」というふうに性教育に「歯止め」をかけるものと理解されています。
Aさんは大学の学費を稼ぐため、セックスワークをした時期がありました。
その経験が、包括的性教育の大切さを実感するひとつのきっかけになりました。
「時間もすごく大事だったし、お金も稼がないといけない、と思ってしまって。でもあのとき、部屋に入った瞬間(セックスワーカーとして)働くという決断をするまでの自分は、同意する自己決定能力があったのかな、とか、いろんなことを考えたうえで決定できていたのかなっていうのを、大学に入ってから考えるようになって。大学で学ぶ中で、性教育は単に『避妊』などの話ではなく、人間関係全般のものなんだということを知ったとき、面白いと思ったし、子どもたちに、自分と同じような思いをしてほしくないっていう気持ちが、すごく強くなりました」
そういう性教育を、秋田で実践させてもらえるだろうか――Aさんは県内での教育実習を通して、そのような疑問も抱くようになりました。
「何より先に、人権が来てほしい」
インタビューの中で、Aさんは「人権」という言葉を何度も口にしていました。
「子どもに教える時も、何より最初に人権を考えながら話せる先生になりたいと思っています。人権ってすごく大事だなって、一番最初に来ないといけないものだなって。でも秋田県では、人権よりも政策が先にあるように感じてしまって。人口が減っているから結婚させたいし、子どもを作らせたいし、秋田に残らせたいし…っていうのが一番に来ているから、人のことを、人として見てくれている県なのかな、って」
ここを離れるにあたって、実習で出会った子どもたちのことを思い出すと、少し後ろ髪を引かれるような気持ちです。少子高齢化への焦りからか、子どもたち、若者を秋田に残したいという政策が強制されているように感じてきました。政策が先行しているうちは、ウエルビーイングでないと感じていますし、自由な意思で選択できることを大切にしたい私は、秋田県に必要とされる人材じゃないと思い、この決断をしました。秋田が、人権が土台にあり、みんなにとってたくさんの選択が出来る場所になってほしいと強く願っています。(Aさんのメモより)

大きな課題だからこそ
このインタビューを起こしていた12月上旬、秋田県議会ではちょうど「人口減少」についての質疑が行われていました。
県議が「生産年齢人口の減少」と「若者へのメッセージ」について知事に問い、知事は中高生向けのライフプランニング副読本やSNSなども活用しながら、若い世代に秋田の可能性や魅力を伝えていく、といった答弁をしていました。
人口減少は、秋田県の「最重要課題」になっています。
クマの出没、学校の統廃合、病院の減少、働き手の不足、あらゆる現象が人口減少と深くかかわっています。それでも私は「秋田県の人口を維持・増加させなければならない」という議論と政策に、どうしても違和感がありました。Aさんの声を聞いて、その違和感はより鮮明なものになりました。
直面する課題が大きければ大きいほど、異論を「一部の声」として封じがちなところが、人にはあるように思います。「人口減少は重要課題」という設定のもと、私たちは、Aさんのような声を「聞きたくない」と何度も切り捨てて、ここまで来てしまったのかもしれません。
【参考資料】
・秋田県人口問題対策プロジェクトチーム「秋田の人口問題リポート」https://www.pref.akita.lg.jp/uploads/public/archive_0000009318_00/jinkou_zentai.pdf
・2020年(令和2年)国勢調査 人口等基本集計 秋田県の要約https://www.pref.akita.lg.jp/uploads/public/archive_0000061425_00/R2_%E5%9B%BD%E5%8B%A2%E8%AA%BF%E6%9F%BB_%E8%A6%81%E7%B4%84.pdf
・秋田県公式サイト「考えよう秋田の未来」https://common3.pref.akita.lg.jp/kosodate/babywave-info
・横手市若者交際応援事業(交際費用の助成)https://www.city.yokote.lg.jp/kurashi/1001145/1005266/1010833.html
・秋田県教育員会「2025年度(令和7年度) 学校教育の指針」https://x.gd/WkpSh
・change.org「はどめ規定」をなくして、いまこそ当たり前の性教育をこの国にhttps://x.gd/6q6yj
・秋田県議会中継https://smart.discussvision.net/smart/tenant/pref_akita/WebView/rd/council_1.html

