ずっと分断されてきた

 こんなに物価が上がっているのに、なぜ生活保護費は上がらないのだろう。

 それどころか「国は保護費を違法に引き下げていた」と最高裁が判決を出したのに、なぜ国は「あらためて引き下げる」という話をしているのだろう?

 裁判の意味とは? 日本は法治国家のはずでは――。

 たくさんの疑問を抱えて11月末、秋田市の櫻田雄美さんに会いました。櫻田さんは2013~2015年に国が行った「生活保護費の大幅引き下げ」の取り消しを求め、全国各地の生活保護利用者が起こした「いのちのとりで裁判」の原告の一人です。

 提訴から10年。いま思うことを、櫻田さんに聞きました。

自民党公約の「1割削減」が現実に

 まずは裁判の流れと、その後の国の対応を見てみます。

いのちのとりで裁判

2012年の衆院選で「生活保護費の1割削減」を公約に掲げた自民党が、政権に復帰しました。その公約に忖度したかのように、国は翌2013年から2015年にかけて生活保護費のうち「生活扶助」(食費や衣料費、光熱水費など日常生活に必要な費用)の基準を大きい世帯で1割、平均6.5%引き下げました。削減額は670億円に及びました。

保護費を引き下げるために国が用いたのは、前例のない新たな手法「デフレ調整」(物価の下落に合わせて保護費を下げる)と、「ゆがみ調整」(一般的な低所得世帯と生活保護世帯との「差」を縮めるため保護費を下げる)の2つです。

この引き下げが、憲法25条(生存権)と生活保護法8条に違反するとして、全国の生活保護利用者が2014年以降、取り消しを求めて自治体を訴えた集団訴訟が「いのちのとりで裁判」です。原告は29都道府県の生活保護利用者1000人以上。秋田県では当初53人が原告となりました。

最高裁、引き下げは「違法」

最高裁判決

最高裁判所第三小法廷(宇賀克也裁判長)は2025年6月27日、大阪訴訟(原告が敗訴)と愛知訴訟(原告が勝訴)の2つの裁判の統一判断として、国による生活保護基準の引き下げを「違法」とする判決を下しました。

特に、裁判官が全員一致で違法としたのは「デフレ調整」です。最高裁は「デフレ調整」について「専門的知見との整合性を欠くところがあり、厚生労働大臣の判断の過程及び手続に過誤、欠落があった」とし、違法と断じました。一方、一般の低所得世帯との均衡をはかる「ゆがみ調整」については違法としませんでした。

ただ宇賀克也裁判長は少数意見として「ゆがみ調整」「デフレ調整とゆがみ調整の併用」も違法だとしました。

提訴から10年あまり。当事者の多くは高齢者や障害のある人で、全国の原告のうち2割以上の人たちが、最高裁判決を聞くことなく亡くなりました。秋田県原告団では、少なくとも16人が亡くなっています。

最高裁の判決文

国は補償額を「値切る」

判決後の国の対応

最高裁の判決を受けて、国は「最高裁判決への対応に関する専門委員会」を設け、対応を協議しました。この委員会のやり方に対し、当事者や支援者でつくるいのちのとりで裁判全国アクションは「改めて別の理由をつけて生活保護基準の減額改定を行おうとしているのではないか」「被害回復額を値切り、最高裁判決の意義を矮小化するような取りまとめがなされることを危惧する」と再三、改善を訴えてきました。

しかしその声は届かず、厚生労働省は11月18日、最高裁が「違法」と判断した方法とは別のやり方で、全世帯の保護費を「再び下げ直す」という方針を公表。原告にのみ「特別給付金」を給付することとしました。これによって、原告には1世帯当たり20万円、原告以外には1世帯当たり10万円が給付される見込みとなりました。

国が示した給付内容は、原告側が求めてきた「すべての生活保護利用者への全額補償」とは程遠く、原告と原告以外を分けて、補償額を「値切る」ようなものでした。「いのちのとりで裁判全国アクション」は声明を発表し「最高裁によって判断の違法を断罪されてなお、10数年前と全く同様の過ちを犯そうとしている」「この国の三権分立、法の支配を揺るがすもの」と批判し、謝罪と被害の回復を求めています。

「こんなに物価が上がっているのに」

 「どうして、こうなるんだ。なんで謝罪しねえんだべ」
 「国は『引き下げ直す』と言ってるけど、じゃあ今の物価高は、どう考えているのかと思うんです。裁判をやって、判決は『引き下げが違法』だと言っていて、今こんなに物価が上がっていて…下げられるわけがないじゃないかと、どう考えても。この物価高と、どう調整をとれるんだろうかって」

 原告として10年、裁判と向き合ってきた櫻田さんの言葉には、戸惑いと、国の対応への不信がにじんでいました。

秋田県の原告団長をつとめた櫻田さん

脳出血で倒れ、後遺症に苦しむ

 原告となったのは2015年9月。櫻田さんが裁判で読み上げた「陳述書」には、生活保護を利用するに至るまでの歩みが、次のように記されています。

私は現在54歳で、2014年7月から生活保護を受給して独り暮らしをしています。

現在は仕事に就いていません。かつては秋田県内の会社等でソフトウエア開発業務に従事し、東京証券取引所の一覧性株価表示装置や半導体製造装置の制御部、携帯電話の基地局及び移動機、仙台市交通局向けバスロケーションシステムなどの組み込みシステム、(略)自治体向け業務パッケージなどの開発を行ってきました。 

櫻田さんが裁判で読み上げた陳述書(本人提供)

 櫻田さんは、一貫してソフトウエア開発の仕事をしてきました。「やりがいはありましたね。一番忙しかったころは、スマホの前の携帯電話のとき。毎年毎年、新しいものを作ったので、あの機能も、この機能も全部俺が作ったんだよっていう頃で。月の残業200時間なんていうこともあって、大変だったけど、楽しかった」

 しかし2010年11月末、秋田市内の取引先に同僚とイベントの手伝いに言っているさなか、脳出血で倒れました。それから3か月ほど入院し、翌2011年2月に退院。復職はしたものの、後遺症に苦しむようになりました。

死を考える日々

脳の思考回路に異常が生じているようで、思うように(プログラミングの)ロジックが組めない状態に陥っていました。(陳述書より

 「これをするために、これをやって、これをやって…とプログラミングのロジックを組むんだけど、それが組めなくなって。これでは、別の会社に行ったとしても、無理だと」。右半身のしびれや締め付けられるような感覚、ふらつきなどの身体症状は日増しに強くなり、復職から10か月後の2011年12月、退職しました。

 実家を建て替えた際に組んだ、年150万円を超える住宅ローンを抱えたまま、収入が途絶えました。
 生活の糧は、母の年金と、新入社員になった長女の給料。住宅ローンには、櫻田さんが亡くなった場合にローン残高が完済される「本人死亡時の保障特約」がついていました。

 「働こうにも、働けなかった。働いて借金を返せねえから」(櫻田さん)。命を絶つことを、日々考えました。

生活保護の窓口で、心が折れる

 2年半後の2014年6月、櫻田さんは民間団体「秋田生活と健康を守る会」の援助を得て、生活保護を申請しました。

 「新聞に、守る会のちらしが入っていた。それをすぐには捨てないで、持っていたんです。相談に行ったのは、ちらしを見てから1年以上たってからでした。(相談まで間が開いたのは)今すぐ相談しなくてもいいよね、と思っていて。本当に、切羽詰まって、やっぱりここに相談しなきゃだめだと思って、やっと」(櫻田さん)

 守る会に相談する以前に、櫻田さんは一人で生活保護の窓口に足を運んでいました。

 「自分で申請しようとして市役所に行きました。あの時の市役所は(建て替え前の)旧庁舎で、申請しようと思ってカウンターに立ったけれども(職員の)誰も、みんな無視だった。今はベルがついているから押せば気づいてくれるけど、当時は何もなくて。せっかく意を決して、ここまで来たんだけど、これは…これは…無理だと思った」

 窓口で心が折れ、いったん引き返しました。後日、意を決して守る会へ相談に訪れ、生活保護の申請に同行してもらいました。

秋田市役所の生活保護の窓口には現在、手に取りやすいよう申請書が置いてあり、呼び出し用のベルも設置されています

 櫻田さんが生活保護の窓口で「これは無理だ」と感じ、引き返した2014年という年は、安倍政権下で生活保護バッシングが激化していた時期と重なります。
 
 そして今回、最高裁が違法と断じた「生活保護費の大幅引き下げ」が行われていた時期でもありました。

保護費の減額が与えた影響

 2014年7月、ようやく生活保護を利用し始めたものの、暮らしは非常に厳しいものでした。この時すでに、国による大幅な引き下げによって月の生活保護費は3000円以上、減額されていました。

私が現在受給している生活扶助は、冬季加算(※暖房費として10月から4月まで支給)1万2540円を含め、8万4990円、住宅扶助は3万1000円です。

幼稚園から中学校まで一緒だった同級生が病死しました。(略)葬儀に参列しましたが、香典は5000円しか包めませんでした。この年齢で友人の葬儀にというのであれば、最低でも1万円とは思いつつも、それができず、残念な気持ちでした。保護費の減額がこのようなかたちででてくるものなのかと思い知らされました。

保護費の減額の影響は衣食住だけでなく、多岐に亘ってのしかかってきます。今後も、今まで支えてもらっていた人との繋がりや付き合いというものを絶っていかざるを得ないのでしょうか。

(いずれも陳述書より)

「見逃すわけにはいかねえ」

 原告に加わったときの気持ちを、櫻田さんは次のように語ります。

 「見逃すわけにはいかねえなって。自民党の公約だから下がったって、どういうことかと。裁判という方法があるんだったら、それに訴えたいと」

 櫻田さんたち秋田県の原告の訴えは、2022年3月7日の1審判決、2024年3月14日の2審判決とも、認められませんでした。しかし2025年6月、大阪訴訟と愛知訴訟の統一判断として、最高裁は引き下げを「違法」と断じました。

 「『勝ったぞー!』って連絡が来て、やったぞと。最高裁の判決が出たときは、うれしかったなあ」(櫻田さん)

生活保護バッシングが奪った声

 秋田県の原告団の団長は当初、別の人がつとめていました。しかし、激しい生活保護バッシングの影響で、その人は裁判への参加自体を断念したといいます。

 「(生活保護利用者への)攻撃がいろいろ(ネットに)書かれていることに気づいて『原告の団長をやっていていいんだべか』『ああいうふうに見られてるんだよ、俺』って。バッシングはその人に向けて言っているんじゃないけれど、生活保護を利用している人に対する攻撃を目にしたことで、団長をやめて、裁判からも離れてしまった」(櫻田さん)

 誹謗中傷が、当事者の声と尊厳を奪い去る光景を目の当たりにしながら、櫻田さんは原告団長を引き継ぎました。

秋田地方裁判所

「観念」しないと保護申請できない

 「絶対、許せないことがある」と櫻田さんは言います。それは、国が保護費を下げる理由(ゆがみ調整)として「一般の低所得者」との比較を引き合いに出してきたことです。

 「一般の低所得者というのは、誰のことか分かりますか? 所得下位10%、一番低いところにいる人たちです。ここに入るのは、生活保護を利用している人と、生活保護を利用できるのに申請していない人。生活保護を利用できるのに申請していない人の中には、例えば秋田だと、車を離せない人がいます。車を手放すと、暮らせないから」

 櫻田さんの身近にも、生活保護にたどり着けないまま、ぎりぎりの暮らしをしている人がいました。近くに買い物ができるスーパーや病院もなく、バスも3時間に1本という秋田市郊外に暮らし、精神障害があって仕事をすることができない――。その人から相談を受けた櫻田さんは、生活保護の申請に同行しました。「車を手放せない」と考えて、なかなか生活保護を申請できずにいた人でした。

 「『観念』しないと、保護申請しないんです」。櫻田さん自身、かつてはそうでした。

 この苦しいはざまにいる人々をあえて比べて分断して、何の意味があるんだという思いが、櫻田さんにはあります。 

「誰にでも起こり得る」

 最高裁判決後も、ネットには生活保護利用者や判決そのものを攻撃し、誹謗中傷する書き込みがあふれています。そこには、生活保護を「利用する人」と「利用していない人」を分断する言葉も連なっています。

 バッシングが怖くはなかったですか、と尋ねると、櫻田さんは「(怖くは)ない」と答えました。

 「(生活保護のことを)だめだって言うんだったら、闘う、ぐらいの気持ちだったから」

裁判に参加した当時を振り返る櫻田さん

 櫻田さんは裁判の陳述書に、次のように記しています。

忙しく働き続けていても、突然病気で仕事ができなくなり、それに伴い生活保護を受給するしかなくなる状況が誰にでも起こり得るのです。

減額された保護費が元に戻るよう、人との繋がりを保てるよう、そして私も健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう

 思いがけず仕事を続けられなくなり、「観念」して生活保護を利用し、裁判まで経験した10年。櫻田さんが身をもって感じたのは、政治が生み出した分断でした。

 「人を敵対させるような対立軸をつくって、今回も原告と原告でない人を分けて、いっつも、そんなことをやっている。そういうのは許せない。俺は(闘いを)続けます」

【参考資料】
・いのちのとりで裁判全国アクション「いのちのとりで裁判全国アクションとは」https://inochinotoride.org/about.php
・The JiminNEWS シリーズ「自民党の政策③(生活保護)」(2012年4月16日)https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/recapture/pdf/062.pdf
・いのちのとりで裁判全国アクション「生活保護基準引き下げ、何が問題?」https://inochinotoride.org/whatsproblem
・最高裁判所裁判例検索 令和5(行ヒ)397 生活保護基準引下げ処分取消等請求事件 令和7年6月27日 最高裁判所第三小法廷 判決 その他 大阪高等裁判所 令和3(行コ)38https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/
・最高裁判所裁判例検索 令和6(行ヒ)170 生活保護基準引下げ処分取消等請求事件 令和7年6月27日 最高裁判所第三小法廷 判決 その他 名古屋高等裁判所 令和2(行コ)31 https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-94226.pdf
・いのちのとりで裁判全国アクション「いのちのとりで裁判・最高裁第三小法廷判決の読み方~被害回復策の策定や今後の基準改定に活かすために~」https://inochinotoride.org/whatsnew/250706_saikosaiyomikata.php
・厚生労働省 社会保障審議会(生活保護基準部会 最高裁判決への対応に関する専門委員会)https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_60482.html
・厚生労働省 社会保障審議会(生活保護基準部会 最高裁判決への対応に関する 専門委員会報告書等を踏まえた対応の方向性)https://www.mhlw.go.jp/content/11909500/001598873.pdf
・いのちのとりで裁判全国アクション「厚生労働省の最高裁判決への対応策公表を踏まえた緊急声明」https://inochinotoride.org/whatsnew/251121_seimei
・朝日新聞デジタル「生活保護費の減額は「自民公約に忖度」 処分を取り消す判決 津地裁」2024年2月22日)https://digital.asahi.com/articles/ASS2Q66MZS2QOBJB00B.html
・ Dialogue for People「だまってへんで、これからも」―生活保護引き下げの違法性認める最高裁勝訴から問われる「今後」(2025年7月1日)https://d4p.world/32256/
・朝日新聞デジタル「生活保護費、新基準で減額へ 違法判決後も国の強硬姿勢、原告らと溝」(2025年11月21日)https://digital.asahi.com/articles/ASTCP2HRCTCPUTFL00WM.html
・朝日新聞デジタル「生活保護費の再引き下げに「食べないでいるしか」 利用者の憤り」(2025年11月21日)https://digital.asahi.com/articles/ASTCP21PSTCPUTIL00VM.html

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