最近、秋田県内の男性議員Aさんと話しました。
Aさんが住むまちでは、ある公共事業が進められようとしています。Aさんはこの事業に「個人的には反対」。けれどAさんのいる派閥が賛成しているので、やむなく賛成に回っています。
まちの財政状況を考えれば、その事業はやめるべきだとAさんは思っています。でも反対はしません。派閥にいる以上、その中で一段ずつ階段を上って認められるしか「次」に進む道はないからです。異論を口にすれば、次がなくなるかもしれません。
「わたしは反対」という言葉を、いまは飲み込んでいるAさん。派閥という組織を生き抜きながら、いつか「反対」と言えるときが、来るでしょうか。
8月下旬、Aさんのことを何となく思い出しながら、あるイベントを取材しました。今春発足した秋田県女性議員ネットワーク県南ブロックが羽後町(うごまち)で開いた「女性議員とゆる~く語る会」です。
どうしたら女性の議員が増えるのか。女性の「活躍」とは何か。20代から70代まで約20人が参加し、女性議員と一緒に話し合いました。
「道を譲ってください」
県議の加藤麻里さんは議員になって13年目。それまでは1976年から35年間、学校事務の仕事をしてきました。
「学校は男女平等というイメージがありますよね。でも、そうではありませんでした。当時はまだ土曜日に学校があって先生たちが出前を取るんですけど、女の先生たちが男の先生のところまで丼を運んで配っていました。退職する年齢も当時は女性の年齢が早くて、なおかつ肩たたきがありました。同職の夫を偉くするために『道を譲ってください』と女性の先生が言われるんです。管理職はもちろん、校長、教頭、みんな男性でしたし、女性はサブ的な役割をする、それが当たり前でした」
半世紀ほど前の話なので、当時と状況は変化しています。しかし、いまだに変わらない部分もあります。例えば「ケア(世話)は女性の仕事」という意識は、いまも社会全体に深く根を張っています。管理職は圧倒的に男性が多くなっています。
秋田県の教職員の管理職に占める女性の割合は2024年4月時点で24.5%。女性は議員の世界だけでなく管理職の世界でも、いまだ少数派です。
「ますます女性が出にくくなった」
秋田県には25の市町村があり、このうち4つの市町村に女性の議員がいません(2024年8月末時点)。この日の会場だった羽後町も、女性議員ゼロ自治体の一つです。
羽後町では今年3月に町議会議員選挙がありました。残念ながら女性の立候補者はいませんでした。
来賓として参加した羽後町の安藤豊町長は、議員定数が減ったことで一層、女性が立候補しづらくなったとあいさつの中で語りました。
「今回の選挙で議員定数は16から12に減りました。4人も減ってしまったので、ますます女性が出にくくなった。12議席となると地域的に限られてくるので、やっぱりその中で(女性が)出てくるということ自体が難しい。地域選挙は難しいです。そこを意識せず、地域もなにも関係ないという勇気ある人が出てくれば、一つの風穴は空くのかなと思います」
女性には、まだ早い?
ちなみに安藤町長が初当選した2013年当時、羽後町役場には女性の管理職が一人もいなかったそうです。一般質問で議員から女性管理職がいないことを問われた際、安藤町長は次のように答弁したと言います。
「女性の管理職は登用したい。けれどもいきなり『あなた、明日から課長ですよ』と言われたとき、準備も何にもなくてきちんと(職務を)果たせるのか。あるいは慣れていないところにやれって言われてもなかなか難しいだろうと思ったので、ある程度時間をかけながら登用したいというふうにお答えしました」。それから10年がたち、羽後町の女性管理職の比率は今、30%(4人)になっているそうです。
ところで、女性登用の話になるとよく「経験が足りない」「向かない」「まだ早い」といった理由を耳にします。
「足りない、向かない、まだ早い」という女性への慎重論は、なぜ生まれるのか。考えてみるとそれは、手本(ロールモデル)とされる人材が「男性型」、言い換えれば「ケアレス・マン・モデル」ばかりだからかもしれません。
ロールモデルは「ケアレス・マン」
「ケアレス・マン」とは、育児や介護など他者のケアを担わない働き方ができる人、ケアに関心を持たない人——といった意味の和製英語です。
社会は少しずつ変化してきたとはいえ、政治をはじめ意思決定層は「ケアレス・マン」で占められています。性別を問わず、ケアレス・マンのような働き方をしなければ一人前と認められない、という現実もいまだにあります。
女性の議員についても「なり手がいない」「候補者がいない」といった声を聞きますが、これもまた、身近なモデルが「男性型」ばかりだからという理由があるのかもしれません。
私生活を投げうって「付き合い」にはどんどん時間を割いて顔を出し、誹謗中傷やハラスメントに耐えてこそ一人前――といったケアレス・マンかつマッチョなモデルを見せられ続けたら「自分には無理」と思っても不思議ではありません。
そうして女性は不在となり「議員は男性の仕事」「やはり男性でなければ務まらない」という見方が、ますます固定化されていきます。いたちごっこのようです。
クオータ制という選択肢
ちなみに、このようないたちごっこに終止符をうつ方法があります。たとえば、議席の一定数を女性に割り当てるクオータ制です。世界を見てみると、クオータ制を取り入れている国や地域が多数あります。
県議の加藤さんはこの5月、議会の視察で台湾の台南市議会を訪れました。「びっくりしました。半分ほどが女性の議員だったんです。こんなに女性がいて、しかも若い議員さんが多くて、みんなフランクな格好をしていて勢いもあって…。これは何なんだろう、と思って調べたら、クオータ制だったんです」
台湾は1990年代にクオータ制を導入し、女性の政治参画が着実に進んできました。
「台湾でもいろいろな意見があって、クオータ制の導入に反対する方もいらっしゃるそうですけれど、クオータ制を取り入れることによって性別役割分業というものが取っ払われて、すごく変化があったと聞きました。地域が元気になった、という声もありました。最終的には日本もクオータ制を導入してほしいと思いました」(加藤さん)
「アテンドのかたですか?」
秋田県の女性議員は、県議会と市町村議会を合わせて53人。全体に占める比率は11.6%です(いずれの数字も2024年8月末時点)。ちなみに秋田は県知事、25市町村長、副市町村長、議長も全員男性となっています。
由利本荘市議の小川幾代(のりよ)さんは「女性議員がどうして必要なのかと時折、聞かれることがあります。これは私の見解ですが、女性議員がいることで偏見が是正されると思っています」と語ります。
小川さんは最近、行政視察で長崎に行きました。参加した議員は6人で、女性は小川さん1人でした。「夜、メンバーと食事に行ったときに、お店のかたが私の目の前に氷セットとお酒セットを置きました。近くに座っていた人から『今日は議員さんの集まりなんですか。あなたはアテンドのかたですか?』と聞かれました。何が言いたいかというと(議員といえば男性という)固定観念、偏見がそこにあったなと。やっぱり地域に女性の議員がいること自体が重要なんじゃないか、と思った出来事でした」
同質的な組織はなぜよくないのか
小川さんはまた「組織というものは、そこに当てはまりすぎて囲い込まれすぎると、身動きできなくなるんじゃないか」とも語りました。反対なのに反対できない、男性議員Aさんの姿が目に浮かびました。
「そういう組織の性質を意識したとき、あの『男社会』といわれる議会になぜ女性議員が必要なのか、見えてくる気がします。議場の中で最初の一般質問をするとき、男性しかいない景色はすごく心細かったです。その風景から、変えなければならない」
同質的な組織(男社会)で物事を決めていると、大切な施策が軽んじられたり、時に的外れな施策が生まれたりもします。仮に「優れた人材」で固めていたとしても、同質的であるがゆえに、おかしさに気づくことができない。その結果「なぜこんなものが…」と絶句するような施策が生まれることもあります。
最近「東京23区から地方へ移住した女性に60万円」という政府の新案が報じられ、女性たちから多くの批判を浴びて、数日で撤回されました。撤回にほっとしつつも、考え込みました。政府内であの新案に異論が出なかった、スルーされたということは、何を意味しているのだろうか、と。
「女性活躍」という言葉にモヤモヤ
続くグループワークでは、20人の参加者が4つのテーブルに分かれ、女性議員を交えて話し合いました。
私のいたテーブルでは「そもそも、女性活躍とは何か」ということが話題になりました。横手市から参加した女性Bさんは、怒っていました。
「女性の活躍って言いますけど、どうすれば活躍なんですか?っていつも思います。社会に出て何かを目指していれば活躍なのか、専業主婦は活躍していないのか。活躍っていう言葉が怪しい、といつも思うんです」
横手市議の立身万千子(たつみ・まちこ)さんも「確かに〈私はこういう活動をしています〉っていう言い方はしますけど〈私は活躍しています〉とは、言わないね」とうなずきます。
活躍とは何か。「これは活躍ですが、それは活躍ではないです」と誰が決めるのか。こう考えていくと、女性活躍という言葉の「主人公」が実は女性ではないことに気づきます。
「結局、それまで男性の立場でやっていたものを女性に移し替えて、女性もそれ(男性のよう)になったら活躍だよ、と言われている気がします。で、家のことは相変わらず、女性が中心にするんですよね。掃除して洗濯して家事育児して介護して、プラス男並みに働くことになる」とBさん。
参加者の話を聞きながら、女性活躍は一歩間違えると「新種のケアレス・マン(ケア労働を軽視する人)」を生むだけになりかねない、と感じました。女性活躍も、女性議員がいない問題も、決して「女性問題」ではないのです。
「議員になるタイプではなかった」
まとめの時間、仙北市議の西宮(にしのみや)三春さんが自身の出馬経験について少し触れました。
「私は地盤もなければ学歴もなく、仕事もパートの主婦でしたので、議員に立候補するようなタイプでは全然ありませんでした」「いろんな思いがあって『私、出る』と家族に言って、選挙に出ました」
地元のスーパーで買い物をしていると、知らない人によく声をかけられるようになったそうです。「第一声で『大変でしょう…』と言われるんですね。そして体壊さないでね、無理しないでね、と私を気遣って声をかけてくださる方が本当に多くて。そしてその次に『議員ってどうなの?』という質問を受けますので、実は興味のある方はたくさんいるんじゃないかと思っています。私はいつも『ものすごくやりがいしかないです!いままでやった仕事の中で一番自分に合っています』と伝えるようにしています。そうすることで『議員もありかな』と思う女性が一人でも増えてくれたらいいなと思っています」
議員になるタイプでは全然なかった、という西宮さんの言葉に、むしろ希望を感じました。
当たり前に、多様に
NHK連続テレビ小説「虎に翼」が人気です。その理由のひとつは、多様性にあると思っています。
これまで描かれることがなかった、けれど確かに存在してきた人々を代わる代わる「主人公」として映し出している。だからさまざまな人が「わたしの物語だ」と感じているのではないでしょうか。
政治も、そうであってほしいと思います。現実の社会は多様です。その現実社会と同じように、意思決定の場にも多様な人がいてほしい。いるだけではなく、その人がありのまま意見を言える場であってほしい。
それは実現不可能な、夢のような物語なのでしょうか?
【参考資料】
・秋田県教育委員会特定事業主行動計画の実施状況について
・内閣府男女共同参画局ホームページhttps://www.gender.go.jp/research/kenkyu/movie.html
・月刊全労連(2022.10)https://www.zenroren.gr.jp/jp/koukoku/2022/data/308_01.pdf
・内閣府男女共同参画局コラム「台湾における女性の政治参画とクオータ制度」https://www.gender.go.jp/research/kenkyu/pdf/gaikou_research/2020/13.pdf
・TAIWAN TODAY(2023/03/10) 昨年の統一地方選挙、公職者の女性の割合は過去20年で最高にhttps://x.gd/CFpcb
・東京新聞TOKYO Web2024年8月30日 地方への「移住婚」なぜ女性だけに60万円? 政府が検討する東京一極集中歯止め策に効果はあるかhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/350881
・三浦まり(2023年)「さらば、男性政治」https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b618313.html
・岡野八代(2024年)「ケアの倫理」https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b638601.html