
人口減少対策として「女性に子どもを産んでもらうことが大切だ」と考えている人――特に首長や議員の皆さんに、尋ねたいことがあります。
1、あなたは、あなたの身近な人――例えば妻や娘、きょうだい、友人知人に「人口減少対策のために子どもを産んでほしい」と言うでしょうか? (言わない、という答えになると信じます)
2、ではなぜ、不特定多数の「若年女性」に対しては「人口減少対策として、子ども産んでほしい」と言えるのでしょうか? 身近な人には決して言わないようなことも「政策」として、不特定多数の相手にならば言ってもよい、ということでしょうか?
この問いを投げかけようと思ったきっかけは、秋田県議会でずっと続いている「議論」への違和感。秋田県の人口減少対策のいくつかは、女性たちに「地域のために産んでくれ」と言っているに等しいものだからです。
「本人の自己決定を常に念頭に」
10月1日の秋田県議会で、加藤麻里議員が秋田県の人口減少対策について質問しました。「性の自己決定権の視点が欠けないようにしてほしい」という主旨での質問です。一部抜粋します。
加藤麻里議員
9月29日の朝日新聞の2面に大きく「プレコン施策、欠けた視点」という見出しで、秋田県が配布した「将来、ママにパパになりたいあなたへ」という啓発冊子の問題点を指摘する記事が載っていました。(※プレコン=プレコンセプションケア、受胎前ケア。将来の妊娠のための健康管理、健康教育を国や自治体が促す取り組みのこと)

(略)ことさらに女性の卵子の老化を強調した内容となっていて、SNS等では「結婚をして出産すべきという圧力を感じた」など批判があったとのことでした。行政側でも、子どもを産むか産まないかも含めて、自分の性や体のことは自身、つまりその女性本人に決定権があるということを常に念頭に入れた政策でなければ、秋田県での女性の生きづらさは解消されないんじゃないかなと感じました。子どもがいるとかいないとか、結婚しているとかしていないとか、男のくせに、女のくせになどと批判されることなく、誰もが一人の人間として尊重される秋田県であってほしいと思います。ジェンダーギャップに関しての現状認識と、解消に向けた今後の方向性について知事のご所見をお伺いします。
「一緒に立ち向かっていきましょう」
これに対する鈴木健太知事の答弁です。
鈴木健太知事
プレコンに関する冊子が、秋田県の出したものが大変炎上、いわゆる炎上したという事案について、私も承知をしております。私も拝見してちょっと衝撃を受けたぐらいですね、なかなか直接的な表現が見られまして、あれはやっぱりちょっと控えるべきであったなというふうに思っています。
正しい科学的な知識をお伝えするという必要性はもちろんあるんですが、そこの出し方っていうものはきっちりと整理をした上で、最大限の配慮をしないと、決してその出した側に押し付ける意思がなかったとしても、受け止める側がそのような圧力を感じてしまうことというのは避けないといけないというふうに私は思っています。特に行政がそれを行う場合に関しては、これまで以上に最大限の配慮を行って、出すものは出すということで、私は必要性はあると思っております。
加藤委員おっしゃる通り、私も全く同じ考えです。それは結婚しようがしまいが、お子さんを持とうが持つまいが、そんなのは完全に個人の自由であって、それは大前提の話であります。その上で、私たちは、この止まらない少子化という課題に立ち向かわないといけないという、非常に困難な状況ではあるんですけれども、そこはぜひですね、この件に関して様々な考え方が世の中にあると承知していますが、どちらの側にいる人も、このままの日本の人口減少が進んでいいと思っている人はいないわけですから、変にあっちとこっちに分かれてですね、論争するとかということではなくて、お互いの考え方というのはちゃんと尊重しながら、一緒にこの困難な課題に立ち向かっていきましょうという雰囲気を私は醸成していきたいと思っています。
批判された県の「人口減少対策」
鈴木知事は、結婚や出産について「完全に個人の自由で、それは大前提の話」と答弁しました。
しかし、人口減少対策として公費を投じ、高校という公教育の場で「結婚・出産の気運を醸成」する啓発を進めること自体、もはや「個人の自由」という枠組みを超えています。
問題になった秋田県の「卵子」の冊子について取材したとき、担当者も「結婚や出産は一人一人の選択であり、誘導する意図はない」と話していました。その「意図」がなかったとしても、行っている政策は「全体的な結婚・出産への誘導」だと私はとらえました。
ちなみに秋田県では、結婚・出産の気運を醸成する「家庭科副読本」も2015年から作成しており、高校の授業で活用されてきました。この家庭科副読本は2025年度の6月補正予算で、秋田県の重点施策「実効性のある人口減少対策の推進」に位置付けられています。

家庭科副読本のワークシートは、生徒本人の人生設計のほかに「将来の配偶者と第3子までのライフプラン」を書き込む形式になっており、結婚・出産を前提とした誘導的な内容となっていることを以前、記事で伝えました。詳しくはこちらです。
この家庭科副読本については『文科省/高校「妊活」教材の嘘』(西山千恵子・柘植あづみ編著、2017年、論創社)でも、個人の自己決定に介入する政策として批判されていました。
秋田県はさまざまな批判を受けて、現在この副読本の内容の見直しを進めています。
女性は人口を増やすための「母体」?
秋田県議会の議事録を「女性」「人口減少対策」などのキーワードで検索すると、表現の差はありながら「人口減少対策として秋田のために産んでもらいたい」という主旨の発言がいくつも出てきます。
例えば少子化対策の副読本の取扱いがどうかということもありました。その副読本を取り上げることで、子供を産まない選択をした人や、現実に結婚を考えていない人たちにとっては差別ではないかとか、女性へ産め産めと言っているように感じる人もいるというのは十分理解できるのですが、現実問題として、我々は人口減少対策をやっていかなければいけない中で、そういったメッセージも、子供を一人でも多く増やしていきましょうというメッセージは当然、発していかなければいけないですよね。でも、それ自体を差別として捉えてしまう人がいることに対して、一定程度の配慮は必要ですが、全くやめてしまうとなると議論自体が成り立たなくなってしまう。
(2024年6月議会、7月3日予算特別委員会 発言者=宇佐美康人議員)
現実問題として少子化、人口減少がある。個人の自由は大前提だし一定の配慮はするけれども「女性に産んでもらう政策」は必須である――。
私は、県議会で語られるこのような「産ませることへの意気込み」に戸惑いを感じてきました。
このような発言に疑問を呈する声はごく少数で、むしろ、人口減少対策の名のもとに県全体が「産ませること」へと疑いなく突き進んでいることを、恐ろしく感じます。
そこにあるのは、若い女性を「秋田という地域の人員を増やすための〈母体〉」として見る視点です。
どんなに前置きをしても、表現に配慮したとしても「人口減少対策として産んでもらう」という政策は必然的に「わたしの体はわたしのもの」という性の自己決定を侵害します。
「産む・産まない」に介入してきた歴史
「個人の自由」「個人の選択」であるはずの「産む・産まない」に国や自治体が介入することは、なぜ問題なのでしょうか。答えの一つは、私たちの歴史にあります。
日本には1996年まで優生保護法という法律がありました。
優生保護法は「不良な子孫の出生を防ぐ」という目的を掲げており、この法の下で国や地方自治体、産科医療などが一体となって障害がある人などの「強制不妊手術」(本人の同意なしの不妊手術)を行いました。
秋田県も例外ではありません。私は5年ほど前、精神障害があるという理由で強制不妊手術を受けた女性の親族(県南在住)に話を聞きました。女性は周囲に「おなかの手術をする」とだまされて、秋田市内で同意のない不妊手術を受けたといいます。
優生保護法下での強制不妊手術は人口を減らすための「産ませない政策」でした。
一方、いま行われているのは人口を増やすための「産ませる政策」です。
個人の性と生殖に「おおやけ」が介入する、表裏一体の政策です。
いかに産ませるか、ではなく
人口減少対策として「いかに産んでもらうか」という議論を耳にするたび「もうやめてほしい」という思いが深まります。秋田で暮らす一人の人間として。
必要なのは、不特定多数を「母になること」へ誘導する政策ではなく、一人一人が「ここで暮らしてよかった」と思える環境づくりではないでしょうか。
ご意見をお待ちしております
今回の記事をお読みいただいてのご感想、また今の人口減少対策について、皆さまのご意見や思うことをぜひお寄せください。お待ちしております
※頂いたご意見は今後の記事で、匿名でご紹介させていただく可能性があります。記事で掲載されることをご希望されない方は、そのこともお書き添えください。
あて先は→ mail@media-akita.jp
【参考資料】
・朝日新聞「プレコン」施策、欠けた視点 産むこと前提?啓発冊子で「卵子の老化」強調(2025年9月29日)https://digital.asahi.com/articles/DA3S16312035.html
・『文科省/高校「妊活」教材の嘘』(西山千恵子・柘植あづみ編著、2017年、論創社)