
秋田県内にある社員20人ほどの企業で2026年春、一人の社員が解雇されました。
就職して10年近くになるAさんです。
経営者から退職を勧告された日、Aさんはその場で「受け入れられない」と伝えました。しかし後日、経営者から解雇予告通知書と解雇理由証明書を手渡され、「明日から来るな」と告げられたといいます。
解雇の理由として経営者は、Aさんが特定の社員を無視するなどの「パワハラ行為」をしたことを挙げたといいます。
「あまりにも一方的で、納得がいかなかった。私の意見は聞いてくれないじゃないかって」(Aさん)
同僚からアドバイスを受けて、Aさんは労働基準監督署に電話をしました。その後、地元の弁護士に相談し、解雇の撤回を求める「労働審判」を秋田地方裁判所に申し立てることにしました。
労働審判
解雇や給料の不払いなど、労働者と事業主との労働関係のトラブルを解決するための手続きです。労働審判官(裁判官)1人と労働審判員2人でつくる労働審判委員会が行い、訴訟とは異なり非公開となります。
原則3回以内の期日で審理を終えるため、迅速な解決が期待できます。労使双方の話し合いがまとまると、調停が成立。まとまらない場合は労働審判委員会が判断(労働審判)を示します。
真正面からぶつかることになる
Aさんにとって、労働審判は初めての経験でした。労働審判で決着がつかない場合は裁判になることも、初めて知りました。
秋田県内の実家で暮らす母親に「裁判を起こすかもしれない」とAさんが伝えると、母親は驚いて「嫌なところに勤めなくても、別(の仕事)を探せばいいのに」と言いました。会えば母親に反対されるので、労働審判の間、Aさんは実家から足が遠のきました。
それから1カ月が過ぎた頃、Aさんの会社で一つの動きがありました。同僚たちが労働組合をつくることになったのです。

きっかけは、Aさんの解雇でした。
社員の中には、日ごろから経営者とのやり取りに難しさを感じていた人や、賃金の決め方にわかりにくさを感じていた人もいました。Aさんの解雇はおかしいと考えた社員たちは、経営者と今後さまざまな交渉をしていくためにも、労働組合をつくることにしたといいます。
初夏、秋田市にある秋田県労連(秋田県労働組合総連合)の事務所に、仕事を終えた社員たちが集まりました。Aさんの姿もありました。
県労連は、労働者から相談を受けたり、労働組合の活動をサポートしたりする団体です。社員にとって労働組合をつくるのは初めての経験であり、今後しばらくは県労連の支援を受けながら活動していくことになりました。
「労働組合というのはそんなに難しくありません。自分たちで規約や役員などを決めて『私たち、組合をつくりました』と宣言すれば OKなんです」。社員たちを前に、県労連の相談員Bさんが説明をしていきました。
「今回の場合は皆さん、Aさんの解雇に反対して立ち上がるわけなので、経営者がやったことに対して本当に、真正面からぶつかるということになります。経営者にとってみれば『この野郎』となる可能性もあります」「労働組合法という法律があって、万が一、経営者が要求書を受け取らなくて話し合いができないとか、労働組合の活動に妨害をかけてくるというようなことが起きると、組合の交渉で突破していくことになるんですけれど、それが難しいとなった場合は、秋田県の労働委員会というところに相談して、あっせんや仲裁をしてもらうこともあります」(Bさん)
社員たちはさまざまなリスクの可能性も頭に入れながら、これからどのように活動していくかを考えました。
「突っ込まれる要素を残したくない」
この日は労働組合のルールとなる「規約」についても話し合いました。
規約の案には、労働組合の連絡先を「会社の住所」に置く――という一文がありました。
これについて、ある社員が「経営者から文句を言われないだろうか」と不安を口にしました。

相談員のBさんは、次のように答えました。
「労組の連絡先を(会社内に)置くことについて、経営側の許可をもらうということはありません。(規約に労組の住所を入れるのは)この組織が一体どこに存在するのかということを明らかにしておく、という意味なんです。会社との関係もいろいろあって、どうしても労組の住所として、会社の住所や名前を使うことができないとなれば、例えば労組あての郵便物を送る一時的な場所を県労連にするという考えもあるんですけど、そうすると、会社の方で『それは自分たちの労働組合じゃない』といったことを言ってくることがあります。実際、言われたことがありました。だから、私はお勧めしていないんです」(Bさん)
社員たちは、ほかにも疑問や不安に感じたことを相談員のBさんに尋ね、一つずつ解消していきました。
「(経営者から)突っ込まれる要素を残したくないので」と社員の一人は言いました。
労働組合をつくり、経営者と話し合う土台を自分たちでつくる――そのような行動を起こしたものの、働く人たちにとって簡単に不安が消えるわけではないのだと、この日のやり取りから伝わってきました。
経営者に出す「要求書」には、次のようなことを盛り込みました。
労働組合から会社側への要求書
・Aさんの解雇を取り消すこと
・あいまいになっていた賃金や労働条件について交渉に応じること
・パワハラが発生しないよう対策を進めること
・会社の収支や営業実績について定期的に情報を公開し、従業員との話し合いの場をもうけること
「経営者としては尊敬している」
労働組合ができた後、会社側から圧がかかる可能性もゼロではないといいます。
「例えば、労働組合にかかわると会社側から目をつけられるのだということを、会社側が社員に見せたとします。そうすると『ここで自分は波風を立てないで働きたかったのに、労働組合にかかわると波風が立つのか』というふうに思って、消極的になる人もいるかもしれない。しかしこのような会社側の行為はすべて、不当労働行為と言って、法律上やってはならないものです」(Bさん)
2時間近くに及んだ話し合いの終わりに、労働組合の初代委員長になったCさんがあいさつをしました。
「社長を、経営者としてはリスペクトしています。尊敬しています、経営者としては」。Cさんはこう切り出すと、迷いながら、次のように語りました。
「今回、いろいろあって、自分としては実はもう、ほぼ仕事はやる気がない状況で、無難にこなしていたんです。でも今回、労働組合をつくることになって…まずわかってもらいたい、社長に。今まで言えなかったことを、今回はこうして言って『わかってけれや』という思いの中で、やっていかないといけない。でもやっぱり、社長は社長だから、会社を立ち上げるということは、すごい気力、体力のいることだと思っていますが、それ以外のところはやっぱり、闘っていくというか、『わかってけれや』という中でやっていかないと。特に若い人も入ってきたし」
労働組合の社員たちは後日、Aさんの解雇の取り消しを求める嘆願書と要求書を、経営者に手渡しました。
労働審判によって復職が決まる
Aさんにとって、労働組合ができたことは大きな支えになっていました。
第1回の審判が終わった時、Aさんは次のように話していました。
「このままだとまた同じく犠牲(解雇)になる人が出てくるから、ここでちゃんと、やることをやっておかないと、みんなせっかく応援してくれてるし、やらないと、と思って。(労働審判は)大変なことだって、いろいろ難儀するって、調べてみると書いているけど」
それから数カ月後、Aさんと会社との間で調停が成立しました。

会社側は当初、Aさんの解雇を取り消さない姿勢を見せていましたが、第3回の労働審判で調停が成立。
Aさんの解雇は無効となり、職場に復帰してこれまで通り働き続けられることになりました。経営者からAさんに対し、謝罪の言葉もあったといいます。
「審判に行く時も(経営者に)会うからすごく不安で、絶対に(復職は)だめだと言ってくるんじゃないかと」「ただ私は悔しくて、負けたくなかったから。こんな感じで辞めさせられる人が、他にもまた出てくる可能性もあると思って」。労働審判を振り返りながら、Aさんはこう話しました。
職場復帰はAさんが願っていたことですが、戻ることに不安はないですか、と私が尋ねると、Aさんは次のように答えました。
「戻っても、組合の人たちがいるから、何かあったら相談できるなと、助けてもらえると思っているので…まず仲間がいるから、帰れるかなと思って」(Aさん)
人を辞めさせるにはそれ相応の理由がいる
Aさんの復職が決まった後、秋田市にある県労連の事務所で労働組合の集まりがありました。
県労連の相談員Bさんは集まりの冒頭、次のように語りました。
「そもそも今回、解雇自体がおかしかったということです。私自身は皆さんの会社で働いている人間ではないので、日常的な会話だとか、口調とか、言葉の強さ弱さなどは、わかりません。ただ、いろいろなことがあったにせよ、人を辞めさせるからにはそれ相応の理由が必要で、客観的な事実として認定されるかどうかということが重要です。そういった意味で今回は非常に乱暴な解雇事件でした」
「世の中には、たくさんの乱暴な解雇事件があります。ところが今回のように復職が叶うということは、本当に少ない。Aさんご本人がつらい思いをしながら粘り強く頑張ったということ、それから組合員の皆さんが積極的に支えてくださったということ、代理人の弁護士が法廷で圧倒的な働き方をされたことが重なって、成果につながったというふうに思っています」(Bさん)
この日の話し合いの中で、ある社員が「Aさんの前にも一人、辞めされられた人がいた」と言いました。
「その時に、今回のようなこと(労働組合をつくること)をやっておけば、Aさんも解雇にならなかったけども、その時には俺がたで組合を立ち上げるとか、そういうこと何にもなかったもんだから、仕方ないという感じで、辞めてしまったものだから」 。間に合わなかった、というような意味合いが、社員の言葉ににじんでいました。

職場の変化
今回のことがあってから、経営者の雰囲気が少し変わったと社員は言います。
「あんまり、無理なことを言わなくなった。組合をつくられたということが、大きかったかもしれない」
組合ができる前とできた後で、社員の皆さんは気持ちの面で変わったところはありますか、と私が尋ねると「全然違います」という声が即座に上がりました。
「初めてこういうふうな形で、はっきり社長に逆らうというか、法律を盾に、組合を盾に動いて、こういうふうな結果になって、社長も初めてのことで経験がないだろうし」
今回、すべての社員が労働組合に加わったわけではありません。
「やっぱり人それぞれですので、どうしても私は加われないという人もいると思うんです。人の集団なので、みんなが同じ方向をむくのは困難です。それを強制すると、また別のことになってしまうので。問題を受けたら一つずつ、話し合いをするしかない」と相談員のBさんは言います。
同じ職場で働いていても、それぞれに考えや思いがあり、抱えている事情も立場も異なります。
ただ、ある人の解雇をきっかけに異なる人同士が「つながれる部分」を手探りし、動いたという事実は残ります。この事実は、変わりようがないと半ばあきらめていた職場に、変化をもたらしました。
【参考資料】
・最高裁判所「労働審判手続き」https://www.courts.go.jp/saiban/syurui/syurui_minzi/roudousinpan/index.html
・労働組合法 https://laws.e-gov.go.jp/law/324AC0000000174

