「ただ、話したかった」

 「普通の家庭だったら、お父さんとかお母さんが、片付けの仕方とか、料理とか洗濯とか掃除とか一緒にやって、覚えていくと思うんだけど、うちはそれができないから、すごく悩みでもあります。子どもたちのことが、一番、ひっかかっていて」

 秋田県に住むAさん(40代)の声です。

 Aさんは、夫と子どもたちと県内で暮らしています。8年ほど前、指定難病である「重症筋無力症」の診断を受けました。

 「30歳を過ぎたころに体調が悪くなって、それでも、ただ疲れているだけかと思っていたんですけど、だんだん力が入らなくなってきて、受診して検査をして、重症筋無力症という診断になりました。(診断された当時は)病態がよくわからなくて、治療すればある程度は食い止められるかなと思っていたんですけど、だんだん進行していって、歩けなくなって、車椅子になって、寝たきりになってという感じで、進んでいきました。今は顔の周りしか動かすことができなくて、そこから下は、全く動きません」(Aさん)

 診断を受けた後、それまで続けてきた仕事は辞めることになりました。

 「体がやっぱりついていかなくて、それで辞めたっていうところと、子どもたちが小さかったから、仕事と子育ての両立に悩んで、仕事を変えてみようという思いもあったんですけど、結局、体が動かなくなって、働くことができませんでした」(Aさん)

重症筋無力症 
神経と筋肉のつなぎ目(神経筋接合部)に伝達障害が生じ、筋力が低下しやすくなる自己免疫疾患です。筋肉が疲れやすくなったり、力が入りにくくなったりします

 女性であること、母親であること、病気による重度の障害があること――。これらが重なり合う暮らしの中で経験してきたことを、Aさんに聞きました。

家事や子育てをほとんど背負ってきた

 Aさんのインタビューは、2026年5月から6月にかけて行いました。
 Aさんは重症筋無力症の症状により、はっきりとした声を出すことや体を動かすことが難しい状況にあります。このためヘルパーがAさんの語りをそばで聞き、Aさんと私のやり取りをサポートしました。
 インタビューに応じてくださったAさん、サポートのヘルパーの方に心から感謝いたします。

 Aさん夫婦はずっと共働きでした。
 2人ともフルタイムで働いていましたが、家事や子どものことは、女性であるAさんが中心に担ってきました。

 重症筋無力症の症状が進み、以前のように家事や子育てを担うことが難しくなった時、Aさんが頼りにしたのは「自分の実家」でした。

 「病気がわかった時は、子どもたちが小さかったので、どうしていったらいいか正直わからなかった。だから実家で過ごしていたんですけど、やっぱり(実家の)家族の介護疲れが出てきてしまって、正直、ぎくしゃくしていました」
 「(当時は支援制度などが)全然わからなくて、普通の介護事業所、ヘルパーさんとか、そういうところを一日に何回かお願いする形になっていました。(実家の家族が)私の面倒を見て、子どもたちの世話もして、正直(実家の家族が)疲れていって。けんかとか、言い合いが絶えなくなって」(Aさん)

 自分のことで、実家の家族が言い争う声が、何度も聞こえてきました。面と向かって「疲れた」「自由がない」という言葉を受けたこともありました。

 病気になる前と形は違いながらも、「家事と家族のケア」はAさんの責任として、Aさんの心身にのしかかりました。

ようやく「公的支援」にたどり着いて

 重症筋無力症は、症状の現れ方や程度に個人差があります。

 体を動かせなくなるなど、症状が重くなって初めて利用できる支援制度もありますが、そこに至るまでの「はざま」の時期を、Aさんは実家の助けを借りて乗り切ろうとしました。

 「症状がこのままの状態でいくのか、進行していくのか、正直その当時はわからなかった。先を読んで(支援を)生活につなげていくのは、正直難しいことでした。体がまだ動く時に支援を申請しても、まだ動くでしょう?って(支援を)切られることもあるはずだから」
 「もっと早く、役所とかに自分たちで相談に行けたらよかったんだけど、そこまで頭が回ってなかった。結局、どうしていいかわからない。このままじゃダメだと思っていても、どこに相談したらいいんだろうと。役所では、詳しいことってなかなか教えてくれない。当時はまだ30代だったから、介護保険も使えなかったし、結局お金をかけてなんとかするしかないみたいな感じで。そうなると、経済的に余裕がある家庭ではなかったから、やっぱり身内で見るしかないって」(Aさん)

 数年が過ぎ、症状が進んで、自助努力が限界にきたとき、Aさんはようやく公的な重度訪問介護の制度にたどり着くことができました。

重度訪問介護
重度の肢体不自由などにより常時の介護を必要とする人に、自宅での入浴、排せつ、食事の介護、外出時における移動支援などを総合的に提供する障害福祉サービスのこと。障害のある人が個人として尊重され、地域で安心して暮らせる社会を実現するため、障害者総合支援法に基づいて行われます。

 「やっぱり家族だけで介護するのは大変だからと、病院と看護師さんたちが(制度を)教えてくれて。入院している時に病院の地域連携室に相談して、そこから基幹相談支援センターのことを聞きました。センターの相談員さんとつながってからは、こういうのもありますよという情報をもらって、そこから『くらすべAkita』の方たちにつないでもらって、本格的に動き出した感じです」(Aさん)

自立生活センターくらすべAkita
重度障害のある人が地域の中で自立生活を送り、暮らしていけるようサポートする秋田県内の当事者団体。2018年6月に設立されました。

 現在は重度訪問介護の制度を利用し、複数の「自薦ヘルパー」が交代で24時間、Aさんの暮らしをサポートしています。

自薦ヘルパー 
障害のある人が自ら見つけた人(知人や募集に応じた人)や、地域の支援団体を介して紹介を受けた人などを自身の専属のヘルパーとして登録し、派遣してもらう仕組み

 24時間の介護を利用できるようになったことで、Aさんと実家との関係も変化していきました。

 「実家を出てこっち(自宅)に戻って3、4年目になるんですけど、少し離れている時間ができて、お互いに心の余裕ができて、少し関係は良くなったかなと思っています」(Aさん)

 「家事と家族のケア」が難しくなったことがきっかけで、時に責めるような言葉をあび、負い目を感じてきたAさんは、公的支援につながってようやく、自分自身のケアに集中できるようになりました。

一番の気がかりは子どもたち

 Aさんにとって一番の気がかりは、子どもたちのことです。

 「やっぱりきちんと生活していけるかどうか。私が結局、何もできなくなってしまったので、荒んだ生活になってしまわないか――。夫は正直、家事ができる方ではないので、いっとき家の中が散らかり放題になって、そういう状況に子どもたちを置きたくなかった。夫が家事とか、きちんとできる人だったら、正直ここまで心配はしなかったと思う。あとは、成長していくにつれて、子どもにかかるお金も出てくるから、仕事もできなくて、こういう体になってしまって、これから先の子どもたちの学費とか、そういう心配もありました」

 ずっと背負ってきた家族のケアは、いまもAさんの心の中を占めています。

 「(夫は)まったくやってくれないというわけではなくて、ただやっぱり、割合が偏っていた。結局、自分でやった方が早いから、全部やっていた感じ。頼めばやってくれるんだけど(夫側からの)小言が多くて、それだったらもういいよってなってしまって。いくら言っても、わかってもらえない」(Aさん)

 子どものこと、夫のこと、Aさん自身の思い。これまでの暮らしとの折り合いは、簡単にはつきませんでした。「今でも折り合いはついてない」とAさんは言います。

 「子どもたちもこれから大人になって、いずれここから出て行く日が来ると思うんだけど、結局一人暮らしとかする時に、ちゃんと生活していけるんだろうか?とか、普通の家庭だったら、お父さんとかお母さんが、片付けの仕方とか、料理とか洗濯とか掃除とか一緒にやって、覚えていくと思うんだけど、うちはそれができないから、そこがすごく悩みでもあります」(Aさん)

 インタビューの中でAさんは、「普通のお母さん」という言葉を、何度か口にしました。
 Aさんが思う普通のお母さんは、どのようなものでしょう。

 「理想とかは特にないけど、普通に、なんだろうな、一緒に家事したりとか、どこか出かけたりとか、けんかしたりとか、そういうのができると思っていたけど、今はまず、できない状態になってしまったから。そこが一番、悔しいかな。部活とかも見に行けないし、当たり前にできていたことができないっていうのが、正直ちょっとつらいかな」(Aさん)

「ただ、話したかった」

 今回の取材は、くらすべAkitaを通じて依頼しました。

 打診のメールで私は、2023年にDPI女性障害者ネットワークが発行した報告書「障害のある女性の困難 複合差別実態調査とその後10年の活動から」を読んで問題意識をもったこと、秋田の女性たちに話を聞きたいということを、伝えました。

2023年の報告書「障害のある女性の困難~複合差別実態調査とその後10年の活動から」。女性であり、障害があることによってどのような時に生きにくさが生じるのか、当事者の声が記されています

 Aさんはなぜ、インタビューに応じてくれたのでしょうか。あらためて尋ねたところ、Aさんは次のように語りました。

 「まず単純に、ただ話したかった。それと、やっぱり障害者が地域で生活していくって、すごい難しいことだから、そういうのを一人でも知ってもらえたらいいなと思って受けました。いまだに施設とか病院とか、どうしても、そういう選択をしなければいけない人たちは山ほどいるから、そういう人たちが、ちょっとでも自分らしく暮らしていけるようになればいいなと思って。そのためには、こうやって記事にしてくれる人とか、周りに伝えてくれる人がいないと、なかなか伝わりにくいから。それで受けました」(Aさん) 

当事者じゃなければわからないことがある

 Aさんが現在利用している24時間の重度訪問介護は、Aさんが自分の家で子どもたちと暮らし続けるために、なくてはならないものです。

 このような支援がなかった「はざま」の時期は、Aさんにとって苦しいものでした。

 「(実家の)家族も、自分の身内だから面倒を見なきゃという気持ちもあったと思うし、どこまで頼っていいのかとか、ここは自分たちでやんなきゃいけないとか、そういう線引きが自分もわからなかったと思う。多分、こういうことが積もり積もって、介護疲れの事件とか、そういうものにつながっていくことが多いと思うから、こういう制度があるんだとか、家族も大変なんだって、いろんな人に分かっていてもらいたい。でも実際、それがどこまで深刻な問題なのかは、当事者じゃないとわからないから」。だから「当事者でなければわからないこと」を伝えてもらえたら、とAさんは話しました。

女性であり、母親であり、障害があること

 女性であり、母親であり、障害がある。そのようなさまざまな側面が重なり合う暮らしの中で、Aさんは今どんなことを感じているでしょうか。

 「普通のお母さんたちが弁当を作ったりとか、授業参観とか運動会とか、できることがまずできないから、そこはやっぱり自分も悲しい部分でもあるし、子どもたちも、何とも思ってなければいいけど、あそこのうちはいつもお父さんしか来ないとか、そうやって言われているんじゃないかなと思うと、やっぱり、プレッシャーだったりするかな。(プレッシャーは)多分一生、なくなることはないと思う」

 「こうやって言っているけど、実際自分がどこまでやれているか、正直わからない。口でいろいろ言っていても、体が動かないから、そこがどこまで(家族に)伝わっているかもわからないし。普段ここ(ベッド)で寝ていることが多くて、見えないところが多いから、口うるさく『あれやってこれやって』とか『片付けなさい』とか言っているんだけど、子どもたちには文句を返されたりして。でもそれだって、普通のお母さんたちもあることだし。これは苦しいことかもしれないけど、それが普通だと思うようにしないと、何やっても苦しくなるから。普通にやっているお母さんたちだって悩むことはいっぱいあるし、私はたまたまそこに障害がついている。だからちょっと、やり方を変えるしかないかな。解決はできないけど。普通のお母さんとか、女性ならではの悩みって、同じなんじゃないかなと正直、思うから」(Aさん)

Aさんの手のひら


【参考資料】
・DPI女性障害者ネットワークサイトより 報告書「障害のある女性の困難 複合差別実態調査とその後10年の活動から」 https://dwnj.chobi.net/?p=1279
・『障害があり女性であること:生活史からみる生きづらさ』(土屋 葉・編著、現代書館、2023年)https://gendaishokanshop.stores.jp/items/6503e9ec83d26a0031351943
・難病の患者に対する医療等に関する法律(難病法)https://laws.e-gov.go.jp/law/426AC0000000050
・難病情報センターサイトより https://www.nanbyou.or.jp/entry/120
一般社団法人全国筋無力症友の会大阪支部サイトより
・厚生労働省サイトより 指定難病の要件について
・厚生労働省サイトより 障害福祉サービスについてhttps://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/service/naiyou.html
・秋田県公式サイトより 基幹相談支援センターについて https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/84098
・NPO法人全国自立生活センター協議会 http://www.j-il.jp/kamei/kurasube
・全国障害者介護制度情報 http://www.kaigoseido.net/

タイトルとURLをコピーしました