あたたかい手

 4月下旬、秋田県内で暮らす2人の女性に会いました。

 一人は60代のAさん、もう一人は70代のBさんです。

 2人は若いときに、子どもを産めなくする「不妊手術」をされました。
 
 AさんとBさんには知的障害があり、手術は2人の同意を得ず、強制的に行われたものでした。

 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という目的をもった優生保護法(1948~1996年)のもと、国や自治体が1990年代(平成)まで行っていた強制的な不妊手術と人工妊娠中絶。

 このうち不妊手術の被害に遭った人は全国で2万4993人、秋田県内でも373件の被害が確認されています。

 Aさん、Bさんも、被害者の一人です。

 障害があるから、病気だから、障害のある子を産むかもしれないから――といった理由で、国や自治体から「産むべきではない人」と決めつけられ、生と尊厳を奪われた人たちがいます。

 県内で出会った声から、その被害と加害について、考えたいと思います。

おなかにあった「手術の痕」

 AさんとBさんは現在、県内の同じ施設で暮らしています。

 2人がここに移り住んだのは2000年。不妊手術をされていたことが判明したのは、この時でした。 

Aさん、Bさんが暮らす部屋の前庭に咲いていたタンポポ

 施設の理事は、次のように語ります。

 「施設に入る前に健康診断を受けるんですが、Bさんの診断書の中に、不妊手術の痕ありという(医師の)一筆が残っていました。地元の病院の先生の診断でわかったんです」

 「もう一人のAさんは(健康診断の)資料には(手術のことが)出てこなかったんですけれども、(Bさんと)同じ箇所(下腹部)に傷があるというので、職員が(Aさんも被害者であることに)気づきました」

 日本の優生保護法は深刻な人権侵害であると国内外から強い批判を受け、1996年に「母体保護法」へと改正されました。AさんとBさんの被害が判明したのは、それから4年後のことでした。

 「その後、令和3年(2021年)に、うちの職員が(優生保護法の被害者への一時金支給に関する)ポスターが掲示されているのを見て『あ、2人(AさんとBさんが)いる』ということで、職員が県の方と連絡を取り合いました」(理事)

優生保護法による強制不妊手術の被害者に一時金を支給することを知らせる厚生労働大臣名の「認定決定通知書」。2021年11月9日付になっています(施設提供)

 さらに4年後の2024年7月、最高裁判所大法廷は「優生保護法は、法律がつくられた時点で憲法違反だった」という判決を下し、被害者に対する賠償を国に命じました。

 2024年10月には、被害者に補償金を支給するための補償法が成立しました。

 このときBさんの両親は、すでに亡くなっていました。Aさんの両親も亡くなっていましたが、Aさんには身元引受人となっているきょうだいがいました。

 施設の職員がAさんのきょうだいに連絡し、Aさんが強制不妊手術の被害に遭っていたこと、国による補償の対象であることを伝えると、きょうだいはAさんが不妊手術を受けていたことを初めて知った、と語ったそうです。

2人の被害を埋もれさせなかった施設

 AさんとBさんが暮らす施設は、創設者自身、障害のある人でした。

 施設の理事は次のように語ります。

 「(施設の創設者は)いろんな困難を抱えながらも(入所した人たちの)自立を目指して、今の事業を始めたというのがあるので、人権とか、そういうことにはえらく神経を使ったと思うんです」
 「(50年近い)私の勤務経験からして、(不妊手術を)するとか、どうのこうのっていう議論さえ(この施設でされたことは)なかったです」

 秋田県は2025年、県内の診療所や病院、支援施設などを対象に、強制不妊手術の被害者の「個人記録」が残されていないかどうかを調査しました。

 秋田県によると、対象となった898施設のうち、回答した施設は304施設(34・4%)。このうち被害者についての「個人記録がある/個人記録のある可能性がある」と答えたのは、わずか5施設でした。

秋田県が2025年に行った県内医療機関・施設等への資料調査について、秋田県から筆者に寄せられた回答(下線は筆者による)

 AさんとBさんが暮らす施設は、県内で被害者の「個人記録」を保管し続けた数少ない施設の一つでした。

 Aさん、Bさんの不妊手術を「重大な人権侵害」であると施設が認識していたことで、2人の被害は埋もれることなく県に伝わり、補償にもつながりました。

「ショックというか、怖い」

 優生保護法によって、障害のある人や病気の人への強制的な不妊手術が「合法的」に行われていた1948年から1996年までの「空気」は、どのようなものだったか。理事は当時の記憶をたどりながら、次のように語りました。

 「私は昭和55年(1980年)から(この施設に職員として)入っているんですけども、(優生保護法の手術は)意に反してやる手術だというのは理解していました。周囲がどうだかはわからないけれども(強制不妊手術が)だめなことだっていうことは、わかっていました。施設でも、子どもからだんだん大人になっていって、いろんな心配とか、もちろん施設ですから、男女を分けるとか、いろんなことをやって、そうならない(予期せぬ妊娠などをしない)ようにしたということもあるんですけども…。ただ、実際こういう(強制不妊手術の被害に遭った)方が出てくるということは、やっぱりショックですよね」
 「(障害のある人が強制不妊手術をされていたことは)ちょっと考えられない。優生保護法というのは、わかってはいたんですけれども」(理事)

秋田県が公開した1974年(昭和49年)の「秋田県優生保護審査会結果一覧表」。被害者の中には16歳前後の女の子が複数いることが記録からわかります。県内の被害者の中に多数の未成年者がいた記録は、1948年以降の秋田県衛生統計年鑑にも残っています(赤線は筆者による)

 この施設で長く入所者の生活支援に携わってきた職員のCさんは、2人の被害を知った時のことを、次のように語りました。

 「本人の意図しないことを、本人が知らない…本人が知らないところで、そういうことが行われているんだっていうのを初めて知ったので、ショックというか、怖いなと思いました」(Cさん)

 この施設では、Aさん、Bさん以外の被害者は確認されていません。

母の記憶を語るAさん

 Aさんは、両親が高齢になって面会が難しくなったため、生まれ育った県内の地域を離れて現在の施設へと移り住みました。この施設で暮らして26年になります。

 職員のCさんによると、Aさんは動くことが好きで「集中力のある人」。

 入所者の中に新聞紙をちぎる作業が好きな人がおり、その人が作業を終えた後の新聞を整理するのが、Aさんの担当する作業です。

新聞を折りたたみ、整理するAさん

 Aさんは新聞を整理しながら、生まれ育った場所のことや亡くなった母の思い出を、繰り返し話してくれました。

テレサ・テンが好きなBさん

 Bさんは、施設がある地域で生まれ育ちました。両親が高齢になったことをきっかけに現在の施設に移り住み、27年になります。

 職員のCさんによると、Bさんは「元気な人」。手先も器用で、ビーズを紐に通してつなげるなどの細かな作業が得意です。

ビーズを紐に通すBさん

 Bさんは歌番組が好きで、昭和の歌、中でもテレサ・テンが好きなのだそうです。

手の温もりにふれたとき

 秋田県が保存している強制不妊手術の個人記録は、14人分。これは、県内で被害が確認されている373件の不妊手術のうちの、4%に満たない数字です。

 つまり秋田県は、公的機関にも、民間の医療施設や支援施設にも、強制不妊手術の被害に関する個人記録がほとんど残されていない、という状況にあります。

秋田県が保存している優生保護法による「優生手術」に関する個人記録の一部

 Aさん、Bさんの被害についても、今わかっているのは「2人が不妊手術をされた」という事実のみです。

 いつ、どのような経緯で2人の不妊手術が決まり、2人がどこの病院で、どのような手術を受けたのかなど、詳しい手がかりは一切残っていません。

 そして知的障害のあるAさん、Bさんは、その被害について、自ら語ることができません。

 施設を訪ねた日、Aさんは「また来てくださいね」と言って私の手をにぎりました。

 その手のあたたかさを感じたとき、私は、私たちの社会が犯した罪の途方もなさを思い知りました。

AさんとBさんが暮らす施設の敷地にある桜の木

産む、産まないは「わたし」が決める


 本人の同意なく、時にはだまして手術

 国家はその時々の社会状況に応じて、人々の「産む/産まない」という権利を人口政策によってコントロールしようとしてきました。戦争のための兵力・労働力が必要な時代は「産めよ殖やせよ」という掛け声のもと多子多産を奨励し、戦後は急激な人口増加による食糧難などを抑えるため、子どもを産ませないようにする政策を推し進めました。その中で生まれたのが優生保護法(1948~1996年)です。

 同意のない不妊手術を合法化

 優生保護法は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という目的を第1条に記し、障害のある人などへの強制的な不妊手術や中絶を「合法化」しました。その運用はどんどんエスカレートし、国は本人の同意がなくとも、また本人をだましても不妊手術を行ってもよいと自治体に通達しました。被害者への不妊手術や中絶では、国と自治体が中心的な役割を果たしました。

 1949年(昭和24年)から1996年(平成8年)までに行われた強制的な不妊手術の被害者は、記録に残っているだけで2万4993人。その約7割は女性で、1975年以降の被害者に限ると9割以上が女性でした。

 最高裁「優生保護法は憲法違反」

 2018年、宮城県の女性が国に損害賠償を求める訴訟を提起。これをきっかけに訴訟は各地に広がり、12か所で裁判が行われました。最高裁判所大法廷は2024年7月3日、優生保護法は制定された時から「憲法違反」だったとし、国に賠償を命じる統一判断を下しました。

 優生保護法の問題については現在、専門家による検証会議が行われているさなかです。検証会議は国会が日弁連法務研究財団に委託し、2025年10月に第1回会議が行われました。今後3年間かけて、検証作業が行われる予定です。

 人口減の中で「出産のための健康」を啓発

 人口減少が進んだことで、近年の国や自治体の人口政策は「産んでもらう」ことへ誘導するようなものとなっています。その例として、自治体が仲人のような役割を果たす「官製婚活」や、思春期から結婚・出産を意識づけする「ライフプラン教育」、将来の妊娠のための健康管理・健康教育を促す「プレコンセプションケア(受胎前ケア)」などがあります。

過去のことだと言えるだろうか
最も若い被害者は、13歳――誕生日が来ていたら14歳になる女の子でした。 旧優生保護法(1948~1996年)の下、国や自治体によって行われた「強制不妊手術」(子どもを産めなくする手術)。秋田県内の被害者のうち、資料から確認できた人の中には…

〈参考資料〉
・最高裁判所「優生保護法国家賠償請求訴訟」の判例 令和5(受)1319 国家賠償請求事件 2024年(令和6年)7月3日 最高裁判所大法廷 判決 棄却 大阪高等裁判所 令和3(ネ)2139https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-93159.pdf
・日弁連法務研究財団「旧優生保護法問題検証会議」https://www.jlf.or.jp/2026/01/23/kyuyusei4/
・衆議院「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律第21条に基づく調査報告書」https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/html/rchome/shiryo/yuusei_houkokusho.htm
・障害学会「表1優生保護審査会の構成」https://share.google/PVudXMs29zNxhJb8N
・秋田県衛生統計年鑑https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/3213
・JOICFP「歴史から学ぶ ― 産めよ、殖やせよ:人口政策確立要綱閣議決定(1941年(昭和16年))」https://www.joicfp.or.jp/jpn/2017/01/11/35983/
・CALL4「優生保護法に奪われた人生を取り戻す裁判【アーカイブ】」https://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000086

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