
「当事者が再び不安な思いをしないよう、最大限の意を尽くしてほしい」
秋田市が精神障害のある生活保護利用者120人に対し、長年誤って支給してきた「障害者加算」(毎月1万6620円~2万4940円)の過去5年分を返すよう求めていた問題で、沼谷純市長が返還を求めない方針を示したことを受けて、当事者を支援する民間団体が8月20日、沼谷市長あてに要請書を提出しました。当事者の返還を「無し(0円)」とする手続きのなかで、再び当事者の人権を傷つけることがないよう求めるものです。
秋田市から返還を求められていた当事者のうち、3人が取り消しを求めて県に不服申し立て(審査請求)をしていました。県は7月11日、秋田市の返還決定を「違法」として取り消し。これを受けて沼谷市長は7月29日に当事者と面談し、これまでの市の対応を謝罪したうえで、すべての当事者に対して手続きを踏んだ上で返還を求めない方針を示しました。
市長と当事者の面談の記事はこちらです。
「再び摩擦や不安が生じないように」
要請書は民間団体「秋田生活と健康を守る会」会長の後藤和夫さん、自由法曹団秋田県支部長で弁護士の虻川高範さん、きょうされん秋田支部事務局長の伊藤雅人さんの連名。当事者の返還取り消しに向けた再調査、再決定の過程で、新たな人権問題が起きないよう求めています。

市長が「返還」そのものについて初めて謝罪し、返還を求めない方針を示したことで、今回の問題は一つの決着を見ました。それでも支援団体が改めて要請をした背景には、2年分の当事者の苦しみがありました。
「この2年間、大変な思いをした人たちがおり、蓄積された不安があります。そこへ新たに再調査が行われることで、再び要らぬ摩擦や不安が起きかねないという懸念が生じました。そのようなことが起きない方法で返還の取り消しと再決定を行っていただきたい、という趣旨で要請いたしました」。要請後の会見で、後藤さんはこう語りました。
陳情を2度、不採択とした市議会
当事者はこの2年、突然背負わされた「返還金」という名の借金に苦しめられてきました。
生活費だと信じて受け取り、消費してきたお金が「間違いだった」と告げられた当事者たちは、毎月の保護費を削って「過去5年分」を返すよう市から求められました。生活費を2割減らされたうえ、身に覚えのない「借金」を負わされたのです。
市は当事者の「借金」を少しでも軽くしようと控除(自立更生)の作業を進めましたが、そのやり方はケースワーカーによってばらつきがあり、返還無し(0円)となった人もいれば、149万円もの「借金」を背負った世帯もありました。控除(自立更生)の調査ではプライバシーの侵害も起こりました。
「自分は生きていていいのか」「私は人間だと思われているのだろうか」。取材にそう語った当事者もいました。

この間の秋田市議会では、一部の市議から「当事者に返還を求めるのはおかしい」といった意見や質問も出されました。しかし市は「返還を求めなければならないことになっている」と繰り返し答弁してきました。
一方、市議会には「当事者に返還を求めないでほしい」という陳情が2度、提出されましたが、いずれも反対多数で不採択となりました。

「返還」の名のもとに、生活保護利用者の保護費を行政が削り続けることは、憲法が保障する「最低限度の生活」をおびやかす行為に見えました。にもかかわらず、その状態は秋田県が「違法」と裁決を下すまで、2年近く続きました。

「この2年間の秋田市の対応によって、行政への信頼感を相当失ってしまった当事者もいます」(後藤さん)。このような状況が、要請の背景にはありました。
再調査は必要なのか
沼谷市長は7月29日、当事者との面談で「再度不安な思い、あるいは金銭的な負担が生じるような形にならない再調査、再決定をしていくべきだ」と語り、返還請求はしない方針を強調しました。
後藤さんは再調査について「当事者から『また自立更生のような調査をされるのでしょうか』といった声が市に寄せられていると聞いています。この2年間、秋田市は120人の方に生活実態や生活状況を尋ねてきているので、当事者の状況はほぼ把握済みではないでしょうか。これまで蓄積された情報を整理、方向づけすれば、行政の内部作業だけで十分に再決定、返還取り消しができるのではないか」と話しました。

返還された分は当事者に「戻す」
今後、再調査はどのように進められるのでしょうか。
秋田市は取材に対し「当事者の方に改めて(訪問や電話によって)尋ねることは負担になってしまうので、調査は現在持っている当事者の情報や資料に基づいて行う。どうしても当事者に聞かなければならないときには組織的に必要性を判断したうえで、代替案があればそちらで対応したい」と回答しました。
また市長が「返還を求めない」と表明したことを受け、市は返還金が生じている79人の当事者一人一人に市への返還をストップするよう伝えました。市によると、一部でも返還に応じた当事者は79人のうち57人で、2025年5月末時点で478万円が市に返還されています。
既に返還された分について、市は「再調査を経て返還を求めない状態になった場合には(すでに返還された分を当事者に)お戻しする形になる」と説明しました。
「行政の在り方を考える契機に」
秋田市は市議会で返還について質問が出るたび「制度上、当事者に返還を求めなければならないことになっている」と説明してきました。
また秋田県の審理員が、市に対して「返還を求めることによる(当事者の)リスクを検討した形跡が見当たらない」と指摘した際には「(厚生省の)課長通知にはそのような(返還を求めなくてもよいというような)旨の規定はない」と反論していました。※()内は筆者注
しかし、県が裁決で重視したのは、秋田市が根拠としてきた「制度や通知」ではなく「最低限度の生活の保障の趣旨に反するおそれがあるかどうか」でした。

後藤さんは「秋田県の裁決はすべての当事者に当てはまる。再調査、再決定はこのことを最大のポイントとして進めていただき、新たな人権問題が起きないようにしてもらいたい」と改めて強調し、次のように述べました。
「行政は(国の通知よりも)法や判例に基づいて行われるべきです。今回の問題についても他県の裁決の事例や判決があり、秋田市もそれを把握していました。そう考えると、市はもっと早く返還の方針を是正できたのではないでしょうか。多くの人の犠牲のもとに今日に至ったわけですが、今回の問題は本来の行政のあり方を考える契機にしなければいけないと思っています」(後藤さん)
小さな変化
秋田市に要請書を手渡して帰る際、後藤さんは保護課の受付カウンターで「ある光景」を目にしました。〈生活保護の申請書〉が以前より分かりやすく、手に取りやすい形でケースに配置されていたのです。

「以前は、ケースの中に生活保護の申請書が入っていないということもありました。ケースから取り出して持ち帰っていいのかどうかも分からない、という状況だったのですが、今日見ましたらすべてのケースに『生活保護の申請書はこちらです。ご自由にお取りください』という張り紙もされていました」(後藤さん)
秋田市の保護課に尋ねたところ、窓口に置くケースはちょうどこの日、新調したばかりでした。生活保護の申請書が欲しい人に分かりやすいよう、窓口に配置するケースのデザインをそろえて「ご自由にお取りください」という表示も見やすく作り直したといいます。
「何か、一つの再出発のような契機になればいいなと感じました」と後藤さんは話しました。
これまでの経緯
秋田市は1995年から28年にわたり、精神障害者保健福祉手帳(精神障害者手帳)の1、2級をもつ生活保護世帯に障害者加算を毎月過大に支給していた(障害者加算は当事者により異なり、月1万6620円~2万4940円)。2023年5月に会計検査院の指摘で発覚。市が23年11月27日に発表した内容によると、該当世帯は記録のある過去5年だけで117世帯120人、5年分の過支給額は約8100万円にのぼる。秋田市は誤って障害者加算を支給していた120人に対し、生活保護法63条(費用返還義務)を根拠に、過去5年分を返すよう求めてきた。秋田市はその後、当事者の負担を軽減するため返還額を控除する作業(※生活に欠かせない物品の購入費を返還額から差し引くこと)を進め、120人のうち36人が返還額0円(返還無し)になった。残る7割、79人は返還を求められている。79人の返還決定額は合計約3100万円で、最も多い人は97万円にのぼる(2025年6月末時点)。一部でも返還に応じた当事者は79人のうち57人で、2025年5月末時点で478万円が市に返還された。→記事の最初に戻る